能登半島地震
2024/02/05
能登半島地震から考えること
2024年元旦に震度7の大地震が能登半島を襲った。地震国とはいえ、何も元旦から悲劇を見舞う ことはないのに神様も酷なことを成される。
この地震で考えたことが大きく分けて3つある。
1,木造の古い家屋に住まわれる人には、耐震補強など夢物語。
2,世界一の地震国でも地震予知は不可能、来るべく東南海地震にも準備こそすれ時期は分からない。
3、志賀原発は風前の灯だった。いつまで原発推進をやるのか?
私は1995年1月17日に起きた、阪神・淡路大震災の2週間後に社命で現地入りして、被害状況調査
の任にあたった。また2011年3月11日の東日本大震災の2年後、復興状況をこの目で見ようと思い
マイカーで3泊4日を費やした。その経験から上記の3点に絞って自分なりの考察を述べてみたい。
1ー1981年に制定された「新耐震基準」以前の木造住宅。束石に柱が乗った基礎、田舎の使い勝手で
田の字平面に造られ耐震壁が極端に少ない間取り。高齢者は生活上1階に住む。家を押しつぶされ何千人
という人が圧死にあった。能登半島でも同様。この様な家が日本にはまだ数百万戸あるはずだ。これらの
家を耐震補強せよ、というのは小学生を使って戦争をやれという様なものだ。高齢者世帯には財力も少な
い。また、古くなった家屋をあと何年使うかの迷いもある。
発想を変えて、家の一角に頑丈なシェルターを設けて、命だけは助かる仕組みの方が現実的だと思う。
因みに現在ハウスメーカーで建築されるものは震度7にも耐えられる、耐震等級1から3まであり心配は ない。(1の1.25倍が2,1.5倍が3)
2-以前、技術士の講演会で著名な地震学者が、「今も将来も地震予知は不可能」と断言した。そこで
私は「動物の霊感、自然界の現象に頼ってはどうか?」と質問した。返事は「するつもりはない」とあっ
さり一蹴。予知は永遠に無理だと感じた。
太平洋側に住む我々の喫緊の心配は「東南海地震」だ。フィリピン海プレートとユーラシアプレートが
ぶつかり合う南海トラフは、100年から150年ごとに確実にM8クラスの地震を起こす。宝永地震
(1707年)、安政南海地震(1854年)、昭和東南海地震(1944年)・南海地震(1946年)
2024年の今年は、南海地震から78年、いつ起きてもおかしくない。
3-地震の被災者のニュースに隠れがちだが、北陸電力の志賀原発はあわや福島第一原発の二の舞に
なるところだった!震度7で揺れた志賀原発、想定を上回る?揺れと想定以上の活断層の影響で志賀
原発は、変圧器の油漏れ、送電線の損傷に見舞われた。東日本大震災以降運転停止していたとは言え、
使用済核燃料プールには1657本の核燃料があり、冷却が不可になれば第二の福島になっていた!
原発の対テロ対策は何も原子炉攻撃だけではない。稼働中であれば送電線を切れば、最悪メルトダウ
ンにつながる。原子炉の耐震性は一般住宅と比較にならない程厳しい基準だと思われがちだが、何と
志賀原発の耐震基準は補強してやっと900ガル(ガル=加速度CM/S2、前の一秒と次の一秒と
の動きの差CM)、志賀原発近辺は1000ガル以上あった。因みに国内最大は、2008年の岩手・
宮城内陸地震の4022ガル!東日本でも2933ガル。それでいて原発の耐震基準が800~
1200ガルというのは理解に苦しむ。一つの障害は「原子力規制委員会」が御用団体に成り下がっ
ていることだ。今は第二次組織だが以前はもっとひどかった。地震学の権威が委員会のメンバーで
あったが、耐震基準が甘い、と突っ込んだら退会させられた。政府が既得権益保護の最たるもので、
電力会社の恩恵に預かっているせいだろう。核のゴミの最終処分場もみつからないのに原発推進する
政府は信用できない。さらに、前述の東南海地震の震源地に立地する、浜岡原発の再稼働に政府も
中電も必死になっている。日本のほぼ中心に位置する浜岡で福島並みの事故が起きたら、復興、復活
はもはや不可能と言えよう。福島でも放射能汚染の心配がなく、震災被害だけなら今頃心意気高く
復興の道を歩んでいただろう。(下図は建屋内シェルターのイメージスケッチ)